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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)8107号 判決

原告 石田方正

〈ほか二名〉

原告ら訴訟代理人弁護士 山本栄則

小林俊明

糸水豊

被告 石田ウメ

〈ほか三名〉

被告ら訴訟代理人弁護士 島田徳郎

右訴訟復代理人弁護士 石川幸佑

主文

原告らの主位的請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

(当事者の求める裁判)

一、原告ら

(一)  主位的請求

1 亡石田安一がした東京法務局所属公証人橋本東十郎作成昭和三八年第二六三三号公正証書による遺言は無効であることを確認する。

2 原告らのため、次の各登記の抹消登記手続をせよ。

(1) 被告石田ウメ及び同石田富美江は、(イ) 別紙目録第一の土地につき、昭和四〇年八月二三日東京法務局新宿出張所受付第一九六一二号、(ロ) 同目録第三の建物につき、同年同月一八日同出張所受付第一九一五八号の各持分二分の一の所有権移転登記

(2) 被告大田美子及び同金田啓四は、同目録第二の土地につき、同年同月一八日同出張所受付第一九一五九号の各持分二分の一の所有権移転登記

3 原告らが別紙目録の各物件につき各自持分二一分の二の持分権があることを確認する。

4 訴訟費用は、被告らの負担とする。

(二)  予備的請求

原告らと被告石田ウメ及び同石田富美江の間において、原告らが、金九七一、〇〇〇円の限度において、亡石田安一のした東京法務局所属公証人橋本東十郎作成昭和三八年第二六三三号公正証書遺言に基く遺贈負担金の支払義務を有しないことを確認する。

二、被告ら

(一)  主位的請求に対して

1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は、原告らの負担とする。

(二)  予備的請求に対して

「原告らの訴の変更を許さない」旨の決定。

(原告らの主位的請求の原因)

一、石田安一は、昭和四〇年三月四日死亡した。その相続人は、次のとおりであり、相続財産に対する法定相続分は、スミが三分の一、その他の者は各二一分の二である。

妻  石田スミ

長男 石田方正(原告)

長女 石田ウメ(被告)

二男 金田哲(原告)

二女 石田富美江(被告)

三女 大田美子(被告)

三男 石田和雄(原告)

四男 金田啓四(被告)

二、安一は、昭和三八年一二月二〇日、東京法務局所属公証人橋本東十郎作成昭和三八年第二六三三号の公正証書によって、次のような内容の遺言(以下本件遺言という。)をした。

1  別紙目録第四の土地を各持分三分の一の割合で原告らに遺贈する。

2  同目録第一の土地を各持分二分の一の割合で被告ウメ及び同富美江に遺贈する。

3  同目録第二の土地を各持分二分の一の割合で被告美子及び同啓四に遺贈する。

4  同目録第三の建物を各持分二分の一の割合で被告ウメ及び同富美江に遺贈する。

5  原告ら、被告美子及び同啓四に対する右遺贈は負担付とし、右五名は、各自被告ウメ及び同富美江に対して、五〇万円宛(一人負担金一〇〇万円)支払うこと、また、原告和雄は、被告ウメ及び同富美江に対して別紙目録第三の建物を明渡すこと。

三、本件遺言に基いて、被告ウメ及び同富美江は、昭和四〇年八月二三日別紙目録第一の土地につき、同月一八日同目録第三の建物につき、被告美子及び同啓四は、同日同目録第二の土地につき、それぞれ各持分二分の一の所有権移転登記を了した。

≪以下事実省略≫

理由

原告らの主位的請求について判断する。

原告ら及び被告らの父である石田安一が昭和四〇年三月四日に死亡したこと、同人の遺言として、東京法務局所属公証人橋本東十郎作成昭和三八年第二六三三号の公正証書による遺言(作成同年一二月二〇日)があり、その内容が原告ら主張のとおりであること、並びに本件遺言に基いて被告らが別紙目録第一から第三の物件についてそれぞれ原告ら主張の所有権移転登記をしたことは、当事者間に争いがない。

そこで、原告らの主張する本件遺言の無効事由について順次検討を加える。

(一)  遺言能力について

安一が昭和二七年一二月ごろ脳溢血のため倒れたことは、当事者間に争いがないが、その後どの程度に回復したかについては、同人の子である原被告ら本人の各供述に著しい対立がある。

被告啓四及び同富美江本人は、安一が半年以内で回復し、その後言語障害等の後遺症はなかった旨供述する。しかし、≪証拠省略≫によると、三女の被告美子は昭和二八年、四男の被告啓四は昭和三三年、三男の原告和雄は昭和三六年にそれぞれ結婚しているが、安一はそのいずれの結婚式にも欠席したことが認められ、その際健康以外に特別の事情があったことも認められないので、この事実だけから見ても、発病後の安一が、被告啓四及び同富美江本人の供述するように、完全に通常人並の健康状態にあったとは、容易に信じられない。

反面、原告方正、同哲及び同和雄本人は、いずれも、安一には言語障害、半身不随の後遺症があり、昭和三八年当時は判断能力がなかった旨の供述をしている。しかし、同人らの供述自体によっても、原告方正は、昭和三七年一二月九日以後安一を訪ねたことがなく、原告哲及び同和雄も、そのころほとんど安一と話していないことがうかがわれるが、そのように安一と疎遠な間柄にあった原告らが現在安一の晩年の判断能力について云々しても、それほど信用が置けないし、他に、客観的に原告ら本人の各供述を裏付ける資料も見当らない。

結局、次のような各事実、すなわち、

1  脳溢血の発作後の生存期間が約一二年間で、相当長期間である。

2  ≪証拠省略≫によると、安一は、昭和二八年から昭和三二年ころまでよく犬を連れて散歩に出ており、原告哲が昭和三一年別紙目録第四の土地に建物を建てた当時は、単身建築現場へ出かけて監督していたことが認められる。

3  ≪証拠省略≫によると、安一は、原告哲から頼まれて、昭和三一年一一月から昭和三二年一月ころまで、右建物の留守番をしていたことが認められる。

4  ≪証拠省略≫によると、原告方正の提案で、昭和三七年一二月九日、家族会議が開かれたが、安一もこれに立会って聞いており、原告方正に反対の意思表示をしたことが認められる。

5  ≪証拠省略≫によると、安一は、昭和三九年三月はじめ、原被告らを債務者として、東京地方裁判所に別紙目録第一の土地(但し、その一部)の立入禁止仮処分の申請をしたが、その審尋のために同裁判所に出頭して裁判官に面接していることが認められる。

6  ≪証拠省略≫によると、安一は、前記発病当時のしばらくは別として、一・二ヶ月に一度位の割合で単身近所のかかりつけの理髪店に通っており、それが昭和三九年一一月ごろまで続いたことが認められる。

7  ≪証拠省略≫によると、安一は、昭和三八年一二月ごろ、瀬戸丸美好弁護士の来訪を求めて、数回財産問題について相談をした結果、公正証書による遺言をすることになり、同月二〇日公証人役場に赴いて、公正証書を作成したが、その際の発言は、多少の渋滞はあったが、聞き取れない程度ではなかったことが認められる。

以上を綜合してみると、昭和二七年一二月の発病以降の予後を正確に把握することは困難であるけれども、安一に脳溢血後遺症があったとしても、それはそう長くない期間にかなりの程度回復していたものであり、少くとも、本件遺言のあった昭和三八年一二月二〇日当時、同人には、通常の談話には差支えない程度の発言能力があり、勿論、事理を弁識判断する能力は持っていたと認めるのが相当である。

≪証拠判断省略≫

したがって、本件遺言当時安一に遺言能力がなかったという原告らの主張は理由がない。

(二)  遺言の方式について

≪証拠省略≫によると、次のとおり認められる。

1  安一は、昭和三八年一二月ごろ、財産問題に関して瀬戸丸弁護士に相談をしたが、同弁護士のすすめで公正証書による遺言をすることにした。

2  同弁護士は、安一から財産の内容、配分方法等の説明を聞き、登記簿謄本をそろえて、遺言の原稿を作成した。そして、安一がその内容を諒解したので、東京法務局所属公証人橋本東十郎に右原稿を交付して遺言公正証書の作成を嘱託した。

3  安一は、同月二〇日同公証人役場に赴き、証人瀬戸丸弁護士及び横森弘江立会の上で、同公証人に対して遺言の内容が右原稿と同趣旨であることを口頭で述べた。

4  同公証人は、かねて右原稿から公正証書用紙に清書してあった遺言の内容を安一に読み聞かせたところ、安一はこれを承認して右用紙にみずから署名押印した。

(以上の認定も動かすに足りる証拠はない。)

右認定によると、本件遺言に際して遺言者安一の「口授」があったと見ることができる(昭和四三年一二月二〇日最高裁判所第二小法廷判決参照)。

もっとも、原告らは、本件のような複雑な遺言は、遺言者による図解による口授なくしては、真の口授があったとはいえないと主張し、その図解が行われなかったことは、≪証拠省略≫により明らかである。

しかし、法が「公証人に口授」することを求めるゆえんは、公証人が直接遺言者の口述を聞くことによって、遺言者の真意が遺言内容に符合していることを確認するためであり、したがって、口授の程度は、公証人がそれによって右の確認が可能であれば足り、それ以上に、公証人が当該遺言の具体的内容について遺言者と同程度の理解に達することまでを要求するものではない。

本件遺言の内容について見るに、確かに、対象物件が二ヶ所に存在し、遺言の方法も簡単とはいえないけれども、図面による説明がなければ、遺言者の真意と遺言内容との符合を確かめえないほどのものではないから、図解のないことをもって口授の効力を否定することはできない。

そのほか、本件遺言について方式違反は認められないから、原告らの主張は理由がない。

(三)  別紙目録物件の所有者について

被告らは、同目録第一と、第四の土地は、昭和三年五月二八日、同目録第二の土地は大正一四年一〇月七日、安一がそれぞれ前所有者から買受けて所有権を取得したと主張し、これについて、原告らは明らかに争わない。

原告らの主張の趣旨は、終戦後のインフレ期に原告方正及び同哲が安一その他家族を扶養した結果、安一が右各土地を維持したのであるから、その所有権は実質上安一から原告方正及び同哲に移転したとするようである。

しかし、仮に、原告ら主張の扶養の事実があったとしても、安一と原告方正及び同哲との間に何らか特別の合意がないかぎり、右各土地の所有権が移転するいわれはない。本件において、右両者間に所有権移転の合意があった事実は、全く認められない。

次に、≪証拠省略≫によると、安一は、昭和二二年ごろ、自己の名で野村工事株式会社に注文して、別紙目録第三の建物(但し、そのうち玄関脇の便所、診療室、六畳間及び湯殿は、後に増築されたもの)を建築し、昭和二四年六月までに、自己の名で右建築代金を完済したことが認められる。この認定に反する証拠はない。

右認定によると、右建物が安一の所有に属することは明白である。

原告方正及び同哲本人は、ともに、右建築代金は自分らが負担した旨の供述をする。しかし、仮にそうであるとしても、安一が建築工事に関する交渉一切を担当したことは、右本人らも認めており、その安一が原告方正及び同哲の代理人としてではなく、自己のために取引している以上、建物所有権が安一に属することは当然であり、他に、所有権の帰属について安一と原告方正及び同哲との間に特別の合意のあった事実も、認めることができない。(なお、原告ら及び被告啓四本人の各供述によると、原告方正も同哲も、右建物建築以来安一が死亡するまでは、右建物が自分らの所有であると考えてはいず、それが安一の所有であることを前提として、財産の分配案も出していたように認められる。)

そうすると、別紙目録の物件はいずれも安一の所有に属するから、安一の所有でないことに基く原告らの主張は理由がない。

以上のとおりであって、原告ら主張の本件遺言の無効事由はすべて理由がないから、原告らの主位的請求はいずれも失当として棄却すべきである。

次に、原告らの予備的請求(訴の追加的変更)の許否について判断する。

その主張によると、原告らの主位的請求は、本件遺言が無効であることを前提にその無効確認等を求めるものであるのに対し、予備的請求は、本件遺言の有効であることを前提に遺留分の減殺請求を原因とするものである。両請求の法律構成が全く相容れないばかりでなく、両者の攻撃防禦方法が著しく離隔することも明らかである。しかも、予備的請求は、主位的請求についての双方の主張立証がほとんど終了した本件第二一回口頭弁論期日にはじめて主張されたものであって、減殺請求の基礎となる相続財産の価格の確定等のため新たな審理を必要とするものと認められる。

右のような見地から、原告らの予備的請求(訴の追加的変更)は、主位的請求と、請求の基礎を異にし、かつ、著しく訴訟手続を遅延させるおそれがあるから、これを不当として変更を許さないものとする。

よって、民事訴訟法八九条、九三条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官 橋本攻)

〈以下省略〉

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